諏訪大社
■諏訪大社の歴史
諏訪大社は長野県諏訪湖周辺に鎮座し、日本最古級の神社の一つです。「古事記」や「日本書紀」にもその名が記され、信濃国一之宮として古くから朝廷や武将の崇敬を集めてきました。主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)で、国譲り神話に登場する大国主命の第二子とされます。古くは風・水の神、五穀豊穣の神として、また中世以降は武神・軍神として坂上田村麻呂、源頼朝、武田信玄、徳川家康ら歴代武将からも篤く信仰されました。
■四つの宮とそれぞれの見どころ
諏訪大社は「上社本宮」・「上社前宮」・「下社春宮」・「下社秋宮」の二社四宮から成り、全国の諏訪神社の総本社です。
上社本宮
江戸時代建築の幣拝殿(重要文化財)、徳川家康寄進の四脚門、苔むした屋根、荘厳な布橋など歴史的建造物が並ぶ。本殿を持たず、自然崇拝の古い形を今に伝える。
上社前宮
諏訪信仰発祥の地とされ、素朴な雰囲気が残る。古代祭祀の名残を感じられ、神事の際は重要な役割を担う。
下社春宮
幣拝殿・片拝殿(重要文化財)、唯一「筒粥神事」が行われる筒粥殿、縁結びの「結びの杉」、万治二年建立の大鳥居、浮島や下馬橋など歴史的・伝説的なスポットが点在。
下社秋宮
幣拝殿の精緻な彫刻(立川和四郎富棟作)、大注連縄が目を引く神楽殿、樹齢約800年の「寝入りの杉」、日本一大きい青銅製狛犬、子安社(子宝・安産の神)など見どころ多数。
さらに下社では、春宮と秋宮の間で神様を遷す「遷座祭」が年2回行われるなど、全国的にも珍しい神事や、自然そのものを神体とする「本殿を持たない」社殿構成も大きな特徴です。
■諏訪大社の「御柱祭(おんばしら祭)」
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7年に一度(数え年で寅年・申年)、長野県諏訪地方全体で行われる壮大な式年大祭で、諏訪大社の4つの宮(上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮)それぞれの社殿四隅に「御柱」と呼ばれる巨大な樅(もみ)の木を建て替えます。
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御柱は樹齢約200年、高さ約17メートル、重さ10トンもの大木で、山から切り出し、人力のみで曳行し社殿まで運びます。
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祭りは「山出し」(山から御柱を曳き出す)と「里曳き」(町中を曳行し社殿に建てる)に分かれ、木遣り歌や騎馬行列、花笠踊りなども加わり、地域をあげて盛り上がります。
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御柱祭の起源は平安時代以前とされ、神霊の依代や聖域の標示など、様々な意味があると考えられています。
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勇壮な「木落し」(急斜面を御柱とともに滑り降りる)など、迫力ある神事が全国的にも有名です。
諏訪大社はなぜ4つに分かれている?
諏訪大社が4つ(上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮)に分かれている理由は、地域の歴史・神話・祭祀の伝統が複雑に絡み合い、長い年月をかけて現在の形になったためです。
理由①
まず、諏訪大社はもともと「上社」と「下社」という別々の神社が起源で、明治時代に国の管理下で一つの神社とされた名残が「上社」「下社」の分かれに反映されています。上社は諏訪湖の南側、下社は北側に位置し、湖を挟んで南北に分かれる形になりました。
理由②
さらに、上社・下社それぞれが2つの宮(上社は本宮と前宮、下社は秋宮と春宮)を持つのは、古くからの祭祀や神事の伝統が関係しています。特に下社では、春と秋に神様が春宮と秋宮の間を遷座(引っ越し)する祭りがあり、季節ごとに神様の居場所が変わるという信仰が今も続いています。
理由③
また、諏訪湖の氷の道「御神渡(おみわたり)」伝説に象徴されるように、上社の男神が下社の妃神のもとに通うという神話があり、湖を挟んだ神社配置の由来とも言われています。